韓国が嫌い その1

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さて、私は韓国が嫌いである。

私は1965年生まれ、福岡で育った。
福岡には在日朝鮮人が多数いて、子供のころはそれを何の違和感も差別意識もなく受け入れていた。

意識が変わり始めたのは大学時代か。
昭和の終わりごろ、まだ韓国は発展途上国で、今のように反日どうこうということは
ありえない時代だった。

純粋な韓国人に出会ったのは研究室で、博士課程に韓国人の留学生がいた。
女性だったが、感覚に違和感を持った。

研究で壁にぶつかると、誰かが何とかしてくれると思っているのだ。

自分で解決するための努力をしない。まあ、個人的なものだろうと思っていたら、
また韓国人の留学生がやってきた。今度は男性だ。

なんと、彼も同じように、誰かが何とかしてくれると思っている人だったのだ。
しかも調子がいい。

韓国案内しますよー。キーセンいいですよー。

などと助教授にすり寄っていた。

ちなみにキーセンとは売春婦のこと。

このころまで大手旅行会社の韓国旅行のプランにも
キーセン観光が組み入れられていたり、
ガイドブックにもしっかりキーセン観光について書かれているほどだったのだ。
それで日本人に来てもらい、円を稼いでいたのだ。反日などとんでもない時代。

話を戻すとこの韓国の留学生たちは、依存心が強く、
しかし、裏で何を考えているのかはわからなかった。

くらべて中国の留学生たちは違った。自主性が強く野心的に見えた。
歴史が作った国民性なのだと思った。

これが韓国に対して抱いた最初の残念な印象だった。



そのころ、ヒュンダイ自動車のポニーという車がアメリカでバカ売れした。
価格が大変安く、日本車にはかなわないが、品質もそこそこであったためだ。

うちの父親はそれを聞いて、日本は今に韓国に追い越されると言った。
父は戦前生まれで、朝鮮人たちが日本に出てきて一山当てるのを見てきた
過去があり、そう思ったのだ。

話は今に飛ぶが、韓国人たちが主張していほど虐げられていた
わけではないようだ。当時は同じ日本人なのだから。

戦争に入れば、同じ日本人として働くことを強要されたことを、
徴用工たちは強制労働といっている。
従軍慰安婦、私はあえて従軍公娼と呼ぶが、当然日本人も従事していた。
強制連行というのは、心無い軍人が個人的に行ったか、
当時の朝鮮ではまだ残っていた人身売買により
親から売られたのを知らないのか、認めたくないだけだと考えている。
本人の意思に反して売春に従事させられたのは間違いないかもしれないが。
(付け加えておくと、オランダ人女性の場合は違う。
彼女は敵国の女性として戦時性暴力の対象となったのだ。
明らかな謝罪の対象として分けて考える必要がある。)

しかし、私は残念な印象しかもっていなかったし併合時代も日本の力があったから
一山当てたのであって、自力で日本を追い越すことはないと説明したものだった。
まあ、しかし、力をつけてきているのは間違いなかった。不安はあった。